このまま死ぬには虚しさが

9月10日(火)。台風の置き土産の猛暑が疲れの残る身体に厳しかった。

先日買った秋服を早く着たいのに、今日袖を通したのはダークトーンのアロハ。しかも、それが街でも浮いていないというんだから夏気分はまだまだ続きそう。

とはいえ、世の中はカレンダー通りに動いているわけで、学校は始まっているし、コンビニにはシーズンもののお菓子もちらほらと見かけるように。このまま日付が進んで、あと4か月すれば2019年も終わりですよ。

今年は2018年に比べれば平穏そのもの。仕事は帆に風を捉えかねているものの二進一退でトータルはプラス。私生活でも去年に天国から地獄のどん底へと滑落していたので、憑き物が落ちたよう(まだ心の片隅に澱は残っているけど)。

しかし、平穏ということは刺激がないということ。自分は元来の飽き性なので、凪の状態にこそ苛立ちが募ります。

これは趣味が定期的に変わっているのも同じ理由。受動的な趣味は続けるには限界がある、というのは誰の言葉だったか、確かにその通りだと思います。

自分の場合、音楽鑑賞は聴くジャンルを変えながら10代から続く趣味だけど、運転や通勤、仕事といった「何かをしながら聴く」スタイルということもあって何かが残るとは言いがたい。

映画鑑賞はさらに受動的だし、最近はNetflixAmazonプライムで手軽に観られるぶん、さらに消費する側面が強まってきたようにも思われます。

ファッションは…気に入った服を着て行う「何か」があるわけでもないので、やっぱりオタク的な性分からくる「好きなものを欲しい」を満たす手段に過ぎない気が…。

そして今後もそれが続けば、人生を振り返った時に積み重ねを実感できず、虚しさを感じるようになるのかも…?

そう、今の自分に必要なのは、まさしく「生きがい」と呼べる何か! 去年は結婚という形で手に入れかけたそれを、これからは何か別の手段で感じることが必要なんじゃないかと思うんです 。

それが何なのかはわからないけど、受動的に流されがちだった姿勢からの脱却が、これからのポイントのような気がしてなりません。